
3月11日に起きた東北関東大震災と福島原発事故は中東の政治的な混乱や欧州危機と同じように、米国の株式市場に大きな悪影響を与え、3月16日のダウ平均株価は昨年8月11日以来最大の下げとなる約242ドル(2.08%減)を記録しました。現在でも、原発事故解決への見通しが立たないことや計画停電が続けられるなど根本的解決には至っていませんが、一方で、地震や津波の被害者に対する救援や復旧に向けた動きは活発化しており、3月末におけるダウ株価は大震災前の12,000ドルを越える水準まで戻っています。この点、日本経済に対する米国投資家の懸念は次第に薄らいできているように見られます(但し、日本企業、特に輸出企業にとっては原発事故の収束や計画停電の廃止までは、当面厳しい状況が続くことは避けられません)。
一方、チュニジアの青年の死の抗議で始まった北アフリカの民主化運動の高まりはエジプトでのムバラク長期政権の崩壊に結びつきましたが、その後はリビアでのカダフィ政権の巻き返しや中東のバーレーンでの反政府運動抑圧へのサウジアラビアの協力もあり、混迷を深めました。しかし、3月18日に国連決議に基づくリビア上空での飛行禁止区域の設定を目指した米英仏等多国籍軍の攻撃や反政府組織の国民評議会への支援で、新たな展開が広がる状況になっています。 北アフリカや中東における政治的混乱は原油の安定供給に対する懸念を増加させ、3月4日には米国産標準油種(WTI)の4月渡しの終値が1バーレル当たり102.23ドルと2年5ヶ月振りに100ドル台の大台を突破しました。そして、現在も1バーレルが100ドル以上となっており、2008年9月のリーマンブラザーズ破綻の直前の水準と同じになっています。なお、原油価格の高騰が世界経済に与える影響については、1バーレルが100ドル前後で推移した場合、石油関連支出は世界経済の5%程度で対応可能であるものの、120ドルで長期化した場合には6%となり、深刻な影響が出てくることが予想されています。加えて、今回の高騰の背景には供給不足の懸念による需給バランスの逼迫化だけでなく、金融緩和で市場に溢れるマネーの一部がヘッジファンドなどを通じて商品先物相場へ流れ込んでいる要因も否定できません。
北アフリカと中東の国々で民主化の動きが強まっている背景には、経済的要因と政治的要因の二つがあるように思われます。経済的要因としては、この地域が原油や天然ガスの埋蔵量で其々世界の2分の1と3分の1を抱えながら、クウエート、バーレーン、オマーン、サウジアラビア、リビアを除けば一人当たりGDPは10,000ドル以下の国が大半です。世界最大の産油国であるサウジアラビアの場合、1980年には一人当たりGDPは世界4位でしたが、30年後の2010年では世界の39位にあります。原油や天然ガスが豊富にもかかわらず、それらからの収入を産業の多角化や高度化に活用する点では著しく遅れています。そして、このことが支配層と一般国民との間の所得格差を広げ、急増する若者世代を中心に失業率が極めて高い原因となっています。一方、政治的要因としては、この地域の多くの国で長期政権が続いていること、国民の政治参加が制限されていること、そして言論の自由が抑圧されていることがあげられます。特に、今回政治的な混乱があった北アフリカのチュニジア、エジプト、及びリビアは其々23年、29年、41年の長期政権であり、唯一選挙制度があったエジプトでも野党勢力の活動は限られており、言論の自由が保証されていませんでした。また、サウジアラビアなど世界有数の産油国を抱える中東も、独裁政権や限られた王族によって支配されている国が多く、一般国民による民主政治の普及の上では著しく遅れています。
それと同時に、歴史的な経緯もあり、欧米諸国は石油や天然ガスの安定確保の見地から、北アフリカや中東の政治的安定を強く望んでおり、国の統治が一般国民に言論の自由がない独裁政権によって行われていても、そのことを明確に反対しない態度を貫いてきました。チュニジアの政変後、予想をはるかに超えるスピードで進んだエジプト国内のムバラク独裁政権に反対する民主化の動きに対して、オバマ政権が前向きの反応を直ちに示すことができなかったのは、中東の安定に不可欠な大国エジプトではムバラク政権の協力が必要であったからでした。また、リビアのカダフィ政権に反対する民主化の動きに対して、欧州職国、特に英国の反応が当初段階で鈍かったのは2003年春のイラクのフセイン政権崩壊後、ブレア政権とカダフィ政権との間で石油や天然ガスの供給を受ける代わりに、武器を引き渡す取り決めがあったためと言われています。現在、キャメロン政権は過去のブレア政権のリビア政策を批判、フランスと共に飛行禁止地域の確立を目指した多国籍軍における重要な役割を占めています。また、今回のリビア制裁に最も積極的な国はフランスであり、2003年3月の米軍によるイラク侵攻及び統治で、イラクで従来保持していた多くの利権を失ったことに対する反省もあり、リビアの国民評議会を正式な政府組織として最初に承認したことも大変興味深いことです。
北アフリカや中東のように、一般国民が経済発展の恩恵を受ける機会があまりに少ない状態で、従来のような非民主的な政治体制がいつまでも続くことは、インターネット等の情報手段の発展・普及によって、厳しい現実が直ちに国民の多くに伝わる現在の状況では不可能になってきています。しかし、その一方で、民主化運動の拡大により、現在の長期独裁政権を代える動きには多くの国民の支持が得られるものの、作り上げられた新しい政権の目指す方向性に一致点は乏しく、新政権が混乱した状態になりかねないリスクを備えているという現実もあります。こうした点からすれば、欧米諸国に求められていることは国民不在の状態にある現在の政権に対して民主化のプロセスを段階的に認めるように働きかけ、国民が自らの意思で参加できる新たな政治体制へ円滑に移行するように見守っていくことが重要になっています。
そうした観点で、特に注目されるのは世界最大の産油国で、米国とも密接な関係を有するサウジアラビアの動向です。サウジアラビアの現在の原油生産量は1日当たり8.4百万バーレルですが、更に1日当たり3.5百万バーレルの生産余力があるといわれています。この量は政治的な混乱が起きるリビアの1日あたりの生産量であった1.6百万バーレルの2倍以上に相当します。サウジアラビア政府は既に、2月22日にはリビアの原油生産低下に伴う供給を補うための生産増加を表明しています。また、貧困者救済策として、公務員給与の引き上げや債務不履行者の救済を含む約350億ドルの景気刺激策も導入しました。また、若者の失業率が30%と高いことから、国営石油会社であるAramcoは東部の原油生産地域における少数派であるシーア派の大量採用も発表しています。さらに、サウジアラビア政府は穏健な民主改革者であるアブドラ国王を通じて、今年初めて市議会議員の選挙を行なうことを約束しています。北アフリカや中東の中では、サウジアラビアは最も一般国民の経済的な不満が少ない国とされますが、一方でアルカイーダの主要メンバーにサウジアラビア出身者が多かったという過去の経緯もあり、いかに多くの一般国民が納得できる政治体制を作っていくかが大きな課題となっています。
いずれにしましても、北アフリカや中東の政治的混乱が米国経済や株式市場に与える影響は混乱する国の原油生産量によって異なっており、最大の産油国であるサウジアラビアに急激な政変が起きない限り、大きな混乱はないと見られます。その一方、米国を含め西欧諸国にとって重要なことは、経済困難を抱える北アフリカや中東の国々の政治的不安定性が短期的に解消されるものではないことからすれば、石油依存を減らす工夫や新技術の開発、さらに石油に代わる他のエネルギー源の開発を一層進めることが求められています。但し、原子力発電については今回の福島原発事故が、原子炉における冷却機能の安定確保と使用済み燃料棒の処理の面で、再び世界に安全の問題を提起することになりました。
(2011年4月1日: 村方 清) JIPANGU