
2010年第4四半期のGDPはクリスマス商戦の好調さを反映して3.1%でしたが、2011年第1四半期は1.8%に減少しました。当初は2.5%程度が予想されていましたが、気候の厳しさ、原油価格や一部の食料品価格の上昇による個人消費の低下、低迷する住宅不動産ビジネス等が重なり、予想を下回る水準になりました。また、この期における物価上昇率は前年同期比で3.8%となり、昨年第4四半期の1.7%を大きく上回る結果となりました。しかしながら、今回の停滞が米国経済の更なる悪化につながるとの見方は少なく、連銀による金融緩和策の継続もあり、第2四半期以降は再び回復基調に戻ることが期待されています。なお、雇用情勢は著しく改善し、3月の失業率は8.8%まで低下、2009年3月以来の低い水準となりました。これはこの期に新たに仕事を失った従業員の数が過去2年間で最小であったことの影響と見られます。
一方、米国の株式市場の動向で大きな影響を与えたのは4月18日に格付け機関のStandard & Poor’sが米国債について、トリプルAの評価は変えなかったものの、長期見通しを“Stable”から“Negative”に変えたことでした。その日はギリシャの現行再建策が行き詰まり、新たな再建プランが必要になることや中国がインフレ懸念から金融引き締めを強めることなどのニュースが合わせて伝えられ、ダウ平均株価は140ドル(1.14%)という大きな下落を経験しました(但し、その後ダウ価格は好調な米企業の業績を反映し、4月28日に2年11ヶ月振りの高値である12,763ドルを記録)。格付け機関が米国債の見通し評価を変えた最大の理由は巨額な米国財政赤字削減の方向性や5月16日に連邦政府の借入限度である14兆294億ドルに達すると見られる事態への対応措置について、民主党のオバマ政権と下院多数派の共和党との間で合意に至る可能性が依然見えていないことにあります(米国の2010年末公的債務残高はGDPの約97%で、最大国日本の約227%の半分以下)。
2011年度予算については、民主党と共和党の各代表および大統領との間で4月8日の真夜中に、380億ドルの財政支出削減を行なうことで最終的に合意、その後両院で承認され、危ぶまれていた連邦政府機関の閉鎖が回避されました。しかし、2012年度予算については、昨年11月の中間選挙の結果、下院の多数派となった共和党が下院予算委員会委員長のライアン議員より“The Path to Prosperity” (繁栄への道)という提案が4月5日に出され、4月15日に下院本会議で承認されました。
ライアン議員が提案した主要な内容は以下の通りです。
1. オバマ大統領が昨年3月に成立させた医療保険改革法を無効として、雇用者が税優遇措置によって行なう健康保険制度を廃止、誰もが民間の健康保険の購入を支援あるいは可能にするために税控除の恩典を与えるようにする。
2. Medicareに代えて、受益者に対して民間の健康保険の購入に補助金を与える制度とする。但し、この措置は2021年までは実行せず、適用は55歳以下の人に限定される。
3. Medicaidを廃止し、民間の健康保険の購入に補助金を与える制度とする。その方式は連邦政府と州政府の折半ではなく、州政府に一定の補助金を与え、州政府はMedicaidの受益者にその補助金を供与するものとする。これにより、Medicaidの受益者が増加しても、州政府のコストを減少させることができる。
4. ブッシュ減税を恒久的なものとし、所得税の簡素化、及び個人と企業の最大税率を25%まで引き下げる。これによる税収の減少は税の抜け道やビジネスに対する付加価値税(実質的には売上税)で補うものとする。
5. 政策的な財政支出は2008年のレベルに5年間凍結する。税率の増加変更や新たな税については議会の3分の2の賛成を必要とする。継続経費の増加については自動的な上限を与える。ヘルスケア関連の増加はCPIやヘルスケアの年間上昇率までとする。こうした支出削減により、全体の経費をGDPの20%に抑えるようにする(現在は25%)。
6. この結果、今後10年間における財政支出削減額は合計で6.2兆ドルとなり、連邦政府の債務残高を4.4兆ドル減少させるものとなる。
これに対して、オバマ大統領は4月13日に以下の点を主内容とする財政赤字削減策を提案しました。
1. 今後12年間における財政赤字の改善額を、昨年12月に財政責任と改革に関する国家委員会が答申した4兆ドルとする。
2. 上記4兆ドルの内、3兆ドルは財政支出の削減から、残り1兆ドルは現在一時的に実行している富裕層への減税措置の廃止により達成する。
3. 財政支出削減の内、750億ドルは一般経費の削減から、400億ドルは防衛支出の削減から、480億ドルは医療費コストの上昇の抑制から、プラス昨年3月の医療保険改革法の実行により、更に500億ドルで合計2兆ドル強を削減する。
4. 更に、財政赤字額の縮小による金利支払いの減少額として1兆ドルを見込む。
財政赤字削減をめぐる共和党案とオバマ大統領案では、以下の2点に大きな差があります。
1. 富裕層減税(ブッシュ減税)への対応
共和党案では、ブッシュ減税の恒久化が提案されていますが、そこには共和党の保守派や小さな政府を求めるティーパーティの影響を強く受けています。市場経済を重視する共和党には1980年代初めに、第1期のレーガン大統領がラッファー・カーブ理論に基づき実行したような、減税をすれば市場の投資活動が盛んになり、ひいては所得の増加が起こり、税金収入も増加するという基本的な考え方があります(しかし、レーガンの減税措置は結果的に、財際赤字の一層の拡大をもたらし、レーガン大統領は第2期目の1986年に第1期に導入した減税措置の殆どを廃止することになりました)。加えて、2001年にノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学のStiglitz教授は、米国の所得や資産分配は著しくバランスを欠いており、現在富裕所得層の上位1%が米国の全所得の25%、全資産の40%を保有していることを指摘しています。こうした行過ぎた米国の富の分配構造からする限り、オバマ大統領が提案するように、年間所得25万ドル以上の富裕層に対する減税の廃止は、米国の財政赤字減少のための財源確保(約1兆ドルの歳入増加)という経済的効果だけでなく、社会的公正さの観点からも望ましいように思われます(4月22日付のCNNニュースでは、米国人の約72%が富裕層への増税を支持することを伝えています)。
2.MedicareやMedicaidの取り扱い
共和党がMedicareの廃止を主張する背景には、今後も連邦政府の負担が増加する一方の保険医療費を放置する限り、財政赤字の健全化は不可能となり、ベービーブーマーが引退を向かえる前に根本的に制度を変える必要があるというものです(特に、現在、Medicare予算の約28%が末期状態にあるシニア患者の治療費や薬代に使用されているといわれます)。また、Medicaidの廃止は、現在のように多くの州で財政赤字が深刻さを増す中で、同率負担を必要とする制度が行き詰まっているという背景があります(加えて、現在のMedicaidには受益者の悪用が多すぎるという指摘もあります)。これに対し、オバマ大統領は、共和党が提案するようなMedicareやMedicaidの廃止はこれまで米国がルーズベルト大統領以来、守り続けてきたシニアや貧困者への社会福祉政策の考えを逸脱するものであり、絶対に受け入れられないと反論しました。両者の考え方にはこのような基本的な違いがありますが、共和党案の問題点として、現在のように医療費や一部薬代の高騰が続く中で経営維持のために保険料を上げ続ける民間保険会社の健康保険に、病気治療がより必要で、しかも収入に限界のあるシニアが連邦政府から一定の補助金を受けても、差額は全て自己負担とするような保険に加入し続けることができるかという点があります。米国の健康保険制度の問題は医療費や一部薬代が一般物価よりはるかに高い水準で増加しており、現在のMedicareでは政府機関の関与により、医療費や薬代の上限が設定されるなどの措置によって成り立っています。もし、ここに政府機関の関与のない、一般の従業員健康保険のような制度を導入すれば、多くのシニアは自己負担の大きさに耐えられないという問題を抱えることになります。以前、ブッシュ前大統領が2005年にソーシャルセキュリテイの民営化を提案しましたが、年金収入の不安定化を懸念するシニアの強い反対を受け、それ以上の無理な導入追求はしませんでした。この点、現在のような共和党下院のMedicare廃止案では多くのシニア予備軍から強い反対を受けざるを得ないものと見られます。
いずれにしましても、米国の財政赤字削減に関する共和党と民主党のオバマ政権の違いは、両者とも財政規律を守ることの重要性は認識しながらも、削減は市場経済機能に多くを委ねるべきとする共和党と社会費用の増加は社会全体として新たな公平さによる分担が望ましいという民主党の考え方の差異にあると見られます。そして、Medicareについて見れば、ベービーブーマー世代が対象になる時期以降は経営的に困難になる危険性が高い以上、現行制度の基本を維持するにしても、高騰する医療費や薬代に対する一定の規制、受益者向けサービス内容の一部削減、受益者負担の増加等による内容の変更や制度の効率的運営が一層求められていると思います。
(2011年5月1日 村方 清)